10年間で3人の親族を亡くした今の心境
もうそろそろ、夏も終わりますね。
今年の夏は、夏らしいことを特にしないまま終わりそうです。
海にも行っていませんし、花火もしていません。
まあ、それどころじゃなかったんですけどね。
今年の夏は、家族に向き合う夏でした。
精神科へ家族と一緒に行って話してもらう
今月の上旬の話ですが、家族と一緒に精神科へ行ってきました。
発達障害について、ちゃんとした説明を受けてもらうためです。
それまでは、親と喧嘩している状態になっていましたが、帰りの車の中で自分の心境や考えを全てぶちまけました。
親とは、その後こうして欲しいなどの話し合いができたので、まあ良かったかなあと。
その帰りに、母の実家によって、病院で話したこと、発達障害のことを話してきました。
死別ほどつらいものはない
僕は現在までに、親族と3人死別しています。
中学生くらいのときに祖母、高校を卒業するくらいのころに父と死別しています。
そして、先日、祖父と死別しました。
祖父は事あるごとに、僕の悩みを聞いてくれていたので、心の拠り所でした。
「他の人の意見は参考にしなくても良いから、祖父の意見だけはしっかり聞こう」と子供ながらに考えていましたし、尊敬していました。
その祖父と死別する日が来ると、いつかは分かっていました。
覚悟も決めていました。
しかし、いざその時が来てみると、やっぱりつらいです。
いくら人の気持ちが読み取れなくたって、他界した親族を目の当たりにしたら、自然と涙が頰を流れます。
言葉になんかできるわけないじゃないですか。
こうして書いている間も、少し涙腺が緩んでいるんですから。
現在の心境
幸い、パニック発作は起きませんでした。
そして、考えることは普通の人と変わりませんでした。
「あの病院に入院したから、祖父は死んだんだ」
これは、誰もが陥る心境だと考えています。
心境の変化といえば、「後悔」だけはしませんでした。
なぜなら、以前にも同じようなことがあり、生きてるうちにできることはしたからです。
自分なりに考えたことですが、「握手」をしました。
あのときの力強さは忘れることはないでしょう。
発達障害の僕なりに考えた、最善の方法でした。
だから、「あのとき、ああしておけば良かった」といった後悔はありません。
唯一変わったのは、未来のことなんて考えずに「いまを生きる」ことに感情が変わっていったことです。
「いまを生きる」
この考え方に行き着くまでに、3人と死別しなきゃ気付けなかった僕も相当なバカです。
未来なんてどうでも良いです。
いまを生きれなければ、未来なんてないんですから。
だから、今後身体が悲鳴をあげない限りは、先延ばしにすることはないでしょう。
発達障害は治らなくても、価値観や考え方を変えることなんていくらでもできます。
今後は、「自分のため」に生きていきます。
余裕ができてきたら、みなさんにも還元させてください。