発達障害当事者である前に「人間」です。
いまの発達障害の現状をツイッターに書こうと思ったけど、
— Macky@クラウドクリエイター兼DDアーティスト (@Macky_webwriter) 2018年3月5日
ブログに書いたほうがいいな。
誤解している人が多い。#発達障害#現状
ことの発端は、とあるツイートを見つけてからでした。
Twitter上だと、とても納め切れそうにないので、ブログに書かせていただきました。
当事者間にも「好き嫌い」はある
「当事者」だからといって、すべての発達障害と意志共存できるかと聞かれたら、おそらく半数は首を縦に振るでしょう。
しかし、もう半分は縦に振ることはないでしょう。
前者と後者の違いは「自分以外の当事者にあったことがあるかないか」です。
発達障害当事者としての立ち位置
私は、発達障害と分かってからは、Twitterのアカウントを仕事兼発達垢として使っています。
それこそ、最初の方は「発達障害」と記載がある方を片っ端からフォローしまくりました。
ここで、ある心理が働きました。
「発達障害同士なんだから、当然相互になってくれるだろう」
フォロバが来たのは、半分もいなかったと思います。
中には、動いていないアカウントもありましたし。
みなさんご存じの通り、発達障害には種類が結構あります。
細分化していくと星の数ほど出てきそうですが、改めて情報を見たければこちらから。
本当にざっと分けられる発達障害だけを言いますと、
でしょうか。
いわば、大カテゴリです。
では、自分と同じ「発達障害」だからといって、フォローして絡んでいけばフォロバしてもらえるのでしょうか。
答えは「No」です。
なにが言いたいか、「座標は自分にある」ってことです。
つまり、発達障害であっても、根本的な思考は「健常者と変わらない」ということです。
だから、「同じ発達障害」だから自分を受け入れてくれるかといったら、そうではないんですよね。
最終的には、「人間性」や「性格」で判断している方がほとんどだと感じられます。
その結果、自分には合わないなと思ったら、フォローを外されますしブロックもされます。
そうなんです。
私たちは、発達障害でもあり人間でもあるんです。
何をフォロワーに求めているのか
突然ですが、質問です。
あなたは、フォロワーさんに何を求めていますか?
「共感」ですか?「承認欲求」ですか?
私は、「1人でも多くの発達障害者をブログを通じて勇気づけたい、実際に会って交流を深めたい」と考えている人間です。
当然ながら、フォロワー数が増えるにつれて、「こんなにフォロワー数がいるんだから発言をわきまえなくては!」と考えている方も少なからずいると思います。
しかし、「フォロワー」というくくりの中に入っている方々は、どういった目的でフォローしてくれているのか分かりません。
「フォロワーが多いな、とりあえずフォローしとくか」的な気持ちでフォローしてくれる人もいます。
「フォローしとけば有意義な情報でも発信してくれるかな?」と半信半疑な気持ちでフォローしてくれる人もいます。
もともとのTwitterの定義
ツイートが「呟く」という意味なのは、ご存じかと思います。
自分の発言したいことを呟いて何が悪いのでしょうか?
Twitterで「インフルエンサー」でも目指していない限り、フォロワーさんのことは気にかけなくて良いのではないでしょうか。
何か言われたとしても、適当にあしらっておけば良いのではないかと思います。
個人情報云々の前にネット上なんだし。
まとめ
総括するとこんな感じです。
※思ったことを適当にまとめたブログなので、このブログを読んでどう思うかはあなた次第です。
ただ、間違ったことは書いていないと自負しています(個人の意見です)