ドMになる。
タイトルだけで、下ネタの話か?と思われた方がいましたら、下ネタは全く出てきませんのでご了承ください。
さて、今月はまだ10本しか依頼が来ていません。
しかし、今月はこの本数だけで、先月の収入の半分の報酬を得ることが出来ています。
今まで、どれだけサボっていたんだっていう話ですよね。
本当に自分をぶん殴って(以下略
そこで、極限まで追い込むために、現在ブランド品の購入をしています。
ブランド品の購入
生活水準を上げるため、家族や恋人に感謝の気持ちを込めて、ブランド品の購入をしてプレゼントしました。
本来であれば、金銭的に余裕がなければしてはいけないことなんですよ?
しかし、あえて購入することにより、ある満足感を得ることが出来ました。
親孝行と仕事に対するモチベーションアップ
実は、これまでの私は、とてつもない親不孝者でした。
「反抗期のぐれない版」とでも言いますか。
昔なんかは、よく人と比較して人よりも優れている部分があると自慢したがったり、自分が出来ないことを他人のせいにしたりするなど、端から見れば完全に「のび太」でした。
反抗期のぐれない版と言ったのは、親に対して攻撃ではなく「口撃」していたからなんです。
おそらく、当時の母親には、とても酷いことを言っていました。
当時、私は小学生で合気道をやっていました。
これでも、有段者なんですよ(笑)
合気道は友人と一緒に始めまして、送迎は友人の母親がしてくれていました。
その帰りの道中で、友人と何かの話をしていて、たまたま同乗していた母親が、その話に対して拒否反応を示しました。
そのときの私は、「これは人種差別だ!」なんて言葉を、母親に浴びせていました。
中学、高校、専門といじめられてきました。
おそらく、全て自分がまいた種が原因です。
当時の家族や担任の先生には、本当に迷惑をかけたと思っています。
だからこそ、いま思うことがあります。
親孝行だけは、出来るうちにしておこう。
まず、母親には「クリスチャンオリビエの2wayトートバッグ」をプレゼントしました。
素直に喜んでもらえて良かったです。
彼女には、これまで金銭面でたくさん迷惑をかけてきました。
男として、あまりやってはいけない行為だと自負しています。
「ギャンブル依存症」だった時期は、とにかくお金がなくて、彼女にデート代を出してもらっていたほどです。
そのお詫びと感謝の気持ちを込めて、「COACHのトートバッグ」と、もう廃盤になってしまっている「LOUIS VUITTONの長財布」を購入しました。
このプレゼントは、明日渡す予定なのですが、彼女は普段私のブログを見ていないと言うことなので、こっそり書かせて頂きました(笑)
総額で3万円近くの買い物でしたが、自分にとって正しいお金の使い方を身体に染み込ませつつ、クレジットカードでの支払いにしたので本当に仕事をしなければいけないという状況に自らを追い込んでいきました。
そのおかげで、追い込めば追い込むほどより仕事に対する集中力が上がり、良い成果を出せるようになってきたのです。
つまり、敢えて追い込むことによって「ドM体質」にしているのです。
いわば、「仕事の成果も上がるし集中力も上がって一石二鳥だから、たくさん仕事を下さい。」と、仕事をしなくてはいけない状態から、仕事がしたい状態に身体を鍛え上げていくのです。
すると、嫌でも仕事での経験値が上がって、レベルアップしていくことが出来ます。
レベルアップしていくと、仕事で出来ないことがなくなっていくので、逆に仕事が楽しくなってきます。
これが、最近の仕事に対する私の取り組み方法です。
おかげで、サラリーマン時代には決して味わうことが出来なかった「自分で稼ぐことがどういうことか」をフリーランスになってから再認識できた気がします。
携帯ゲームの課金はギャンブルと同じ
最近、思うことがあるのです。
携帯ゲームは、ギャンブルと同じだということです。
よく、「無料で楽しめますが、一部課金要素があります。」
という文字を目にすることはないでしょうか。
課金することによって、強い武器やキャラが最短で手に入りやすくなる。
しかし、強さには当然ランクがついていて、他のキャラよりも出にくくなっています。
もちろん、一回で強いキャラが出れば満足感が得られますが、出なかった場合課金をし続けることになります。
当たれば、当たった時は満足できるけど、一時の快感でしかありませんよね。
特に、アプリ系のゲームともなると、次から次へと魅力的なキャラが出てきます。
これって、ギャンブルと同じだと私は思うんです。
私は現在、主に「ブレイブフロンティア」と「白猫プロジェクト」というアプリをやっています。
そこで、私は決めたことがあります。
- 一ヶ月に課金する金額を決めておく(1万円までなど)
- 場合によっては、諦めることを意識する
人によって意見は、賛否両論だと思いますが、私のように特定の武器やキャラが出るまでは引き続けるというタイプの人は、参考になると思います。
あとは、人が持っているキャラが羨ましく思えても、息抜きにしかしないようなアプリであれば、課金をしてまで得る満足感ではありません。
なぜなら、手元に残らないからです。
もし、そういったコンテンツに対して、お金を支払う余裕があるならば何も言いません。
自分の資産として残らない商品に対して、お金を支払いますか?
普通は、支払いませんよね。
確実に欲しいコンテンツが手に入る、というコンテンツであれば課金すべきですが、そういったコンテンツは中々ありませんよね。
つまり、「デジタルコンテンツ依存症」にならないように、気をつけましょうということです。
適度に遊ぶのは良いことですが、のめり込みすぎると課金をしすぎてしまい取り返しの付かないことになりかねません。
それならば、他にやることや趣味を見つけましょう。
おそらく、今までの自分がバカみたいに思えるほど、人生が楽しくなっていきますよ。
実際にあった、私の体験談ですから。
では、また次回!
久しぶりの休息の時間
みなさん、こんばんわ。
ウェブライターのmackyです。
今日は、5時過ぎに全ての案件が終了したので、久しぶりの休息の時間です。
歌を覚えたりしていたら、あっという間にこんな時間になってしまったうえに、宣言していたブログを書き忘れるところだったので、いま執筆しています。
人に何かを伝える事って大変な仕事
今日は5記事ほど執筆しました。
1記事1,000文字なんで、全部で5,000文字ですね。
いきなりですが、伝えたいことを調べて書くのって、凄く大変な作業なんですよ。
私は、文章処理能力検定1級の資格保持者です。
10分間に1,000文字以上のタイピングが出来るという証明になるわけです。
この事だけを聞くと、「じゃあ、50分あれば終わるんだ」と考える人もいますよね。
しかし、ライター業界に入ると、そう上手くはいきません。
例えば、「文字数が1,000文字以上で○○について記載して下さい」という依頼を受けたとしましょう。」
既に○○についての情報を知っている人からすれば、すぐに書き終わるかもしれません。
しかし、文章の構成を考えず、読者が知りたいことも織り交ぜずに、自分の知識だけをダラダラと書いてしまうと、読者は飛びつきません。
なぜなら、読者は「自分が知りたい情報だけを細かく知れればいい」からです。
知りたい情報を全て伝えるのは難しい
情報を記載するうえで大事なことがあります。
同業者の皆さんなら、耳が痛くなるほど聞いた方法かと思いますが、お聞き下さい。
「起承転結」で結末を先に持ってくるという方法、記事の物語を考えるという方法です。
この問題提起部分で全てを語ろうとすれば、読み手からすると非常に読みづらい文章になってしまうのです。
そのため、各記事を作る時には物語を作り、流れに沿って記事を書いていくのです。
記事を書くのに時間がかかるのは、自分がその分野に関して無知な場合、リサーチをしなくてはいけないからです。
つまり、自分が教えたい情報を冒頭部分にまとめて書くのではなく、要所要所に入れていくのです。
また、自分が教えたい情報を、相手も知りたがっているとは限らないので注意しましょう。
突然ですが、みなさんは仕事をする時に、意識していることはありますか?
私が思っている記事の目的とは、お金を稼いで家族を養っていくということ、仕事相手の方に満足してもらえるような記事を執筆することです。
このことを、常に念頭に置いて記事を書いています。
仕事が辛いと感じたことはないのか
どんな仕事でも、最初は辛く感じると思います。
しかし、仕事に慣れてくれば、日常生活の一部として溶け込んで来るのではないでしょうか。
もちろん、人間関係などで会社に居づらくなることもあるかもしれません。
もしも、いま仕事や人間関係で行き詰まっていて、明日会社に行きたくない、仕事に行きたくないと思っている人はたくさんいると思います。
ほとんどの人が「自宅から近いから」という理由で、職業を選んでいるのではないでしょうか。
事実、私もその一人でした。
どんなに弱音を吐こうが最終的には自分自身が選んだ道
もしも行き詰まってしまったら、なぜ現在の仕事に就いたのか、仕事を続けていくうえで目的や目標はあるのかを、今一度、自分自身と相談してみましょう。
なんとなくの相談ではなく、具体的な相談です。
きっと自分が本当にやりたいことが見えてくるはずです。
人生は1日に24時間しかない
どんな人間にでも、1日という時間だけは平等に流れていきます。
その時間をどう過ごそうと自由ですが、ひとつだけはっきり言えることがあります。
自ら行動せずに、何かを変えることは出来ないということです。
友人がエスパーでもない限り、自分の心情をくみ取って行動してくれるなんてことはあり得ません。
というか、友人がエスパーだったら、全ての考えを読まれてしまうので、恐くて近寄れません。
「今の職場に不満があるけど、言っても改善してくれないだろうな。
最低限の給料がもらえてるから良いけど、じゃなかったら既に会社に辞めてるな。」
と思っている方もいるのではないでしょうか。
都内ならまだしも、地方だと職業が限られてしまうので仕方がありません。
しかし、行動を起こせば、必ず何かが変わります。
そのときに、失敗したって良いんです。
失敗したら、違う方法を考えれば良いだけなんですから。
「努力に勝る天才はいない、毎日行動をし続ければ1年後には違う自分に会える」ということです。
毎日適当に仕事をして適当して生きるよりも、一生懸命に行動をし続ける生き方のほうが、カッコイイと私は思っています。
言い換えれば、やりたいことを実現させるために行動して努力をするんです。
あぁ。
また自己啓発系になってしまった(笑)
次回から気をつけます。
では次回!(風呂入ろっと)
話し合い。
みなさん、こんにちわ。
ウェブライターのmackyです。
実は、先日誕生日を迎えまして、多くの方が祝福して下さいました。
本当にありがとうございます。
気分的には、もう30歳です。
実は、昨日彼女と色々な話し合いをしていました。
お互いの障害についてのことですが、喧嘩ではありません。
話し合った内容
具体的には、今後、どうしたらより良い関係が作れるかを、話し合ってきました。
そのうえで、彼女に秘密裏に進めてきたことも話しました。
例えば、パニック障害の服薬をせずに克服する努力をしてきたことや、ADHDについても勉強を進めていること、トラウマに対して努力していることもお話ししてきました。
相手への興味を失わないことが大事
いくらカップルといっても、元を辿れば「他人」なので、月日を重ねても相手の事はごく一部しか分かりません。
そのため、「情報共有」は非常に大事な要素になってきます。
相手がどんなことに興味があるのか、趣味はなんなのか。
こういった情報は、聞かないと分かりませんよね。
当然ですが、私たちも例外ではありません。
もうすぐ、交際期間が2年と迫ってきているわけですが、相手のことは表面上は理解しているつもりです。
深層心理的に理解しているかと聞かれたら、間違いなく「そこまでは理解していないし、理解したくない」と答えるでしょう。
なぜなら、深層心理的な領域まで踏み込んで良いのは、友人にしろ恋人にしろ、最低数ヶ月以上の付き合いがある人に限られてしまうからです。
信頼関係が少しでも無いと、相手の事を考えてアドバイスをすることも難しくなってしまうと思います。
人生のどん底で見捨てずに側にいてあげられるか
先日の「しくじり先生」という番組で、かつみ&さゆりさんが出演していましたね。
そのとき発言された、さゆりさんの台詞が今でも胸に残っています。
「あなたは、大事な人が人生のどん底まで落ちた時に、見捨てずに側にいてあげられるか」という台詞です。
この台詞によって、如何に「相手のことを思いやっているか」という気持ちをくみ取ることが出来ます。
相手が好きだからこそ、相談にも乗れるし乗ってもらえる
相手に対して思っていることが、「Like」でも「Love」でも持っている感情は「好き」という事実に変わりありません。
つまり、人間的に好きな相手だからこそ、相談にも乗ってあげたくなるし、相談にも乗って欲しくなります。
これは、必然なことだと考えています。
そこでも信頼関係が深まりますし、「こんな場面でこうゆう行動を取ったらこうなった」という話を聞くことが出来ますよね。
共有された情報は、今後に生きる失敗として、自分自身で注意することも出来ます。
この繰り返しによって、自分自身や関わっている人達を、人間的に大きく成長させることが出来るのではないかと思います。
まずは行動してみよう!!
多くの方は、何かを始める前にメリットやデメリットを考えてしまう傾向があります。
しかし、新しく物事を始めるにあたって不安要素もたくさんありますよね。
ですが、私のようにトラウマを克服したり、障害を乗り越えようとしているわけではないですよね。
実は、私も今日2ヶ月ぶりに、頑張って車の運転に挑戦しました。
すると、なんと60kmもの道のりを、誰かの助けを借りることなく完走することが出来たのです。
これは、自分自身にとって大きな進歩だと思っています。
なぜなら、2ヶ月前に車の運転中にパニック発作が起きて、病院へ救急搬送されたからです。
わずか2ヶ月でここまで成長できたのも、周りの支えがあったからだと考えています。
そして、自分に打ち勝つための強い意志と行動力。
正直、この2つさえあれば人生は良い方向に進んでいくと考えています。
自分の叶えたい夢があれば、夢を目標に努力して頑張ってみればいいんです。
努力を重ねることで、見えてくることが必ずあります。
皆さんも、目標に近づけるように努力を怠らずに過ごしていきましょう。
では、また次回!(仕事に関する記事はいつかけるのやら…(笑))
Kalafina良いわぁ。
こんばんわ。
今日からお仕事が始まった方も多いのではないでしょうか。
お休み明けのお仕事おつかれさまです。
私も、たったいま1件目のお仕事が片付いたので、次の仕事の準備をしつつブログを書いております。
その間に、BGMでKalafina聞いていたんですけど、「Magia」以外の曲も良いですね。
ちなみに、聴いていたアルバムは、THE BEST "Bule"です。
Kalafinaは、完全に「まどマギ」から入った「なんちゃってまどマギ民」です。
そんな私が言うのもアレですが、本当に良いアーティストです。
ヒーリング的なものを感じつつ聴いています。
何よりも、民族系の音楽なので神秘的なものを感じやすくて、聴いていて気分が良いんですよね。
それはさておき、昨日あったお話をしようと思っています。
まさかのラーメンに負ける
いやー。
実は、昨日もカラオケに行ったんですよ。
カラオケに行く前に、とんこつラーメン(固め)を食べたんですよ。
そうしたら、固すぎたのがいけなかったのか、お腹が下ってきましてですね。
トイレに籠もったわけですよ。
しかし、まあ、いくら踏ん張ろうと「ヤツ」は出てこない。
すると、大変なことに、これがまた「パニック障害」に連動してしまいまいて、トイレで発作を起こしかけたんですよ。
要はこんな感じです。
なかなか出ないなあ→もしかして、このまま力んでも出ないんじゃないか→長時間トイレに居座りたくはない→不安になる→発作要因発動!!
幸い、昨日紹介した本で、発作が起きかけた時の呼吸法は心得ていた(つもりだった)ので、大事には至りませんでした。
未だに謎に包まれている発作原因
それにしても、未だに連動する原因が分からないんですよね。
夜に外出して寝不足になってしまうんじゃないかということに対して不安症状が起きているのか、トイレで長時間踏ん張っていてもスッキリしないことに対して不安症状が起きているのか。
いまやっている仕事が片付いたら、私のウェブライターとしての現在までの道のりでも書いてみようかなぁ。
少しずつ割愛しながらにはなりますが。
だって、たった9ヶ月の新米ライターといっても、内容はそれなりに(ry
この記事書いてご飯食べたら、またKalafinaをBGMに仕事します。
あ、TSUTAYAに「城南海」と「Kalafina」と「RADWIMPS」と「EGOIST」と「MY FIRST STORY」と「[Alexandros]」のCD返さないとな。
では、また次回!
読書の正月
みなさま、こんばんわ。
ウェブライターのmackyです。
記事を書いていたら、すっかり夜になっていました(笑)
お正月はいかがお過ごしでしょうか。
寝正月している人もいれば、初詣に行ったり旅行に出かけたりしている人もいるかもしれませんね。
そんな中、私はひたすら読書にふけっています。
前回のブログで、私が「ADHD」と「パニック障害」を患っているということを、告白致しました。
実は、年末年始からパニック障害と向き合うようになりました。
(発作が起きた時点で、まともに向き合えよって感じですよね、すいません。)
「服薬をせずにパニック障害は治せる方法はないものか。」
「不安や恐怖を感じるたびに、T○○のタワー・○○・テラーのアトラクション中の状態が不定期に発生する感覚はどうにかならないものか」と。
年末年始にかけて悩んでおりました。
なぜ、ここまで悩んでいるかというと、昨年末に「パニック障害と向き合わざるを得ない出来事」が起きてしまったからです。
その出来事とは、なんと大好きなカラオケ中にパニック発作が起きてしまったんです。
大好きなカラオケが出来なくなることだけは、なんとしても避けたい…!
気付くと、私はネットショッピングでパニック障害に関する本を検索していました。
そして、ある2冊の本にたどり着きました。
パニック障害者が読んでみて気分が楽になった2冊の本
私が実際に購入してみて読んだ結果、深々とパニック障害について考えさせられた本が「パニック障害なんてこわくない!」という本と「パニック障害とうまくつきあうルール」という2冊の本です。
「パニック障害なんてこわくない!」
まず、一つ目の本が「パニック障害なんてこわくない!」です。
この本を読んでいくうちに、気付いたことがあるんです。
それは、パニック障害とは、ネガティブな感情が生み出してしまった「もう一人の自分」だということです。
たとえて言うなら、「遊☆戯☆○」に出てくるマリクという人物の「もう一つの人格」というべきでしょうか。
本書では、どうすればパニック障害を「気にしなくて済むか」というところに焦点が絞られています。
この本を初めて見た時は、何回もパニック発作が起きかけました。
正直なところ、寝る時ですら本のことで頭がいっぱいで、深呼吸をして息を吐くたびに下記で説明する「パニック発作」起きかけていました。
自分に出来るかなという不安な思いがあったんだと思います。
この不安な思いの裏側には、きっと「パニック障害の自分と向き合っている自分」の思いがあったのではないかと感じています。
「パニック障害とうまくつきあうルール」
二つ目は「パニック障害とうまくつきあうルール」という本です。
この本では、パニック障害とのつきあい方が記載されています。
そもそも、なぜパニック障害になってしまったのか。
「パニック障害の自分」と、どうすれば向き合いながら生きていけるのか。
私がこの本を読み終わって思ったことは、パニック障害になってしまったことには意味があるということでした。
パニック障害になってしまったことに意味があるとは?
パニック障害になってしまうには、その時に自分が受けたトラウマが原因なんじゃないかと、私は考えています。
当時(20歳代前半)の私は、とにかくスロットが大好きで、暇さえあればパチンコ屋に行っていました。
もちろん、仕事をお休みにしている日です。
スロット歴はトータルで8年くらいになります。
当時は、純粋にスロットを楽しんでいました。
「やったー!当たったー!」と、まるで小学生が初めて体験した出来事が成功したかのように、喜んでいましたね。
もちろん、スロットというものはギャンブルですから、大負けする日もあれば、大勝ちする日もあります。
大負けした日で6万円台、大勝ちした日で7万円近く勝ったこともありました。
この出来事が、大体いまから2年前くらいですかね。
そして、この頃から遊びではなく「スロットで金儲けをしに行く」という感覚に、思考が変わっていったのです。
完全に、ホール独特の機械から出る大きな音・タバコの臭い・当たった時の快感によって、脳内の思考が麻痺してしまったのでしょう。
連日、車で1時間くらい掛かる低貸しのスロット店に、開店から閉店近くまでいたこともあります。
「もっと勝てないかな、いい台は空いてないかな」という思考しかありませんでした。
完全な「ギャンブル依存症」です。
ギャンブル依存症が引き金となりパニック障害に!?
おそらく、パニック障害を患っている方にも、何か決定的な出来事があったはずなんでよね。
私の場合は、間違いなく「ギャンブル依存症」です。
そんな生活を送っていたある日、決定的な出来事が起こります。
その日は、地元のパチンコ屋さんに午後7時30分くらいに行きました。
もちろん、車で1時間近く掛かるパチンコ屋さんを出た帰りにです。
打ち始めてから少し経つと、急に気持ちが悪くなってきました。
おそらく、パニック発作で動悸を起こし、過呼吸になっていたのでしょう。
とてもじゃありませんが継続して打てませんでしたが、玉はそのままにしておき打つのを止めて、一旦外で気持ちを落ち着かせました。
飲み物を買って店内に戻ると、台は当たっていたようでした。
その日は、朝ご飯以外何も食べていなかったので「空腹のせいかな」とも考えていました。
再度、パチンコを打ち始めてから、ある違和感が私を襲ってきました。
それまでは全くといっても言いほど気付きませんでしたが、今まで以上にパチンコの音が凄くうるさく感じたんです。
そのため、耳を塞ぎながらパチンコを打っていました。
さらには、パチンコから出る振動で、まるで胸を内側から強く押されているかのように共振しました。
その2つの要素、「爆音」と「振動」が噛み合わさった瞬間です。
またもや、パニック発作が私を襲ってきました。
さすがに、耐えられなかった私は、確変中の台を捨てて帰路につきました。
もちろん、いつ発作が再発するか分かりません。
そのため、地元のパチンコ屋から自宅までが、非常に遠く感じました。
なんとか自宅に到着して、その日はそれ以上の発作は起きることはありませんでした。
しかし「ギャンブル依存症」というのは恐い物で、それからも月に何回かは耳栓をしてまで行っていました。
しかも、行く度に当たっては「大当たりが終わることが不安要素」となっていて、当たるたびに発作が起きそうになり、一度表に出て気持ちを落ち着かせる。
落ち着いてきたら、店内に戻って実践再開といった手順を踏んでおりました。
もう、全くもって理解不能な思考ですよね。
いま考えれば「なぜ仕事でもないのに、毎日パチンコ屋さんに行く必要があるんだ」と思ってます。
そして、とうとう2つ目の決定打が放たれることになります。
帰りの車内でパニック発作を起こして救急車で搬送される
その日は、パチンコ業界でとある有名な方に会いに行きました。
片道1時間以上かかるお店での来店実践ということで「ぜひともサインをもらおう!」というファンの気持ちで向かいました。
無事に目的も果たせましたが、打たずに待っていれば良いのに打ってしまうんですよね。
その日は、1万円ちょい負けました。
決定打が放たれたのが、帰路に着いている道中です。
パチンコ屋さんでも何回も発作を起こしかけては、外に出てを繰り返していた私ですが、とうとう身体が悲鳴を上げます。
車に乗り込み、エンジンをかけて発進する時に、既に違和感を覚えていました。
何か胸のあたりが変な感じだと。
異変を感じたので、車を近くの施設の駐車場に緊急停車して回復を待ちました。
そこで、別の思考が頭をよぎります。
「こんな状態で、50km以上先にある自宅まで帰れるのか?」と不安になってしまったんです。
そこからは、もう車を運転することすら恐怖を覚えるようになってしまいました。
しかし、運転しなければ自宅まで帰ることは出来ません。
そのため、少しずつではありますが、車を進めることにしました。
ある程度車を走らせていましたが、ついに限界が来ました。
交差点付近でハザードランプを点けて、車を路肩に寄せました。
もう運転なんてしてる余裕はありませんでした。
そのため、救急車を呼んで近くの病院に搬送してもらいました。
そのときの感情の変化は凄まじかったです。
「なんでオレは、こんな身体になっちゃったんだろう。」
「このままオレは死ぬのかな。」
「なんて情けない人生送っているんだ。」
こんなことを半泣きになりながら考えて、不安とも戦っていました。
車はとてもじゃありませんが運転できない心境でしたので、彼女に迎えに来てもらい、車はお店の人にお願いをして止めてさせてもらうことにしました。
しばらくしてから車は取りに行けたのですが、現在でも車を運転することには躊躇ってしまいます。
信頼できる人間に運転してもらいながら、助手席に乗っていることが現時点では精一杯ですが、少しずつ克服していけたらと考えています。
当然ですが、この出来事をきっかけにパチンコ屋さんには行かなくなりました。
正確には行けなくなりましたですが。
そのおかげと言っていいのか分かりませんが、パチンコ屋さん以外でお金を使って人を喜ばせてあげられる喜びを数年ぶりに味わうことが出来ています。
パニック障害は「進むべき道が違う」という身体からの警告
私は現在、パニック障害についてはこう考えております。
パニック障害とは、進むべき道が違う時に身体が「そっちに行ってはいけないよ、そのやり方は間違っているよ」という警告だと考えています。
「その考え方は違う」と思われる方もいるかもしれません。
私自身も、車に乗っている時や映画を見ている時にも、発作が起きかけることがあります。
しかし、よくよく考えてみると筋が通っていることに気付きます。
なぜなら、車ではエンジンなどの振動が身体に響きます。
走行中ですと、重力も身体にかかります。
私の場合は、この2つの要因は、パチンコ屋さんでの出来事や帰路途中の車内での出来事と繋がっている部分があります。
この要因によるトラウマが、脳内で勝手に「不安」を煽ってしまい、発作を誘発してしまっているのではないかと考えています。
映画館では、音量調節が自分では出来ません。
さらには、胸に響くような振動が起きる映画もありますよね。
この場合には、「自分に適していない環境で、あと○○時間も過ごさないといけないのか」と脳内で勝手に「不安」を煽ってしまい、発作の原因となっているのではないかと考えています。
つまり、パニック障害とは「人生であなたの進むべき道ではない方向に逸れた時に「発作」という形で教えてくれる身体からの勧告だ」と考えるようにすれば、今後うまくつきあっていけるようになるということです。
パニック障害は必ず良くなる!
今回、「パニック障害なんてこわくない!」と「パニック障害とうまくつきあうルール」という二つの本を読んだからこそ、改めて思ったことがあります。
- 病院を頼ることも大切
- 通院を始めた頃は、信頼できる(理解してくれる)人と一緒に行動する
- 発想の転換で、トラウマも次第に薄れていく
- 発作が起きても、必ず収まるから大丈夫!
- 不安になったら、必ず深呼吸をする
以上の4つは、今後の人生においても役に立つと思います。
そして、不安になるようなことを意識したり想像したりしないようにしながら、無理矢理にでもやりたいことに熱中してみましょう。
不思議と、作業に熱中している間は発作が起きていないことに気が付くはずです。
私も、今年はパニック障害とうまくつきあいながら過ごしていきます。
正直、このテーマとしてブログを書いているだけで手汗が凄いんですよ。
執筆までに6時間近く費やしまして、仕事で使っているノートパソコンでブログを書いている訳なんですが、パソコンに付いた手汗を4回以上はティッシュで拭いています。
では、また次回!